「対」を巡る拓旅と啓旅:きっかけは鈴木貞太郎大拙

若かりし日の古川老大師とウィリアムリードに大きく影響を与えたのが鈴木貞太郎大拙の書籍。

鈴木貞太郎は石川県金沢市の出身。
東京に学びに出て鎌倉円覚寺の今北洪川、釈宗演に参禅。
釈宗演より居士号「大拙」を受けた。
この出会いが人生を大きく動かすきっかけとなっただろう。
人は会うべき時に会うべき人と会う。

出身地金沢には来館者自らが思索する場として鈴木大拙館がある。
今回の作品展も自ら感じて思索することを柱としている。

 

鈴木大拙館 https://www.kanazawa-museum.jp/daisetz/

大拙の師、釈宗演の記すべき出会いと言えば山岡鉄舟だろうか。
今北洪川の反対を押し切ってセイロン行きを後押しした山岡鉄舟。
(本来は西欧に行きたかったが、経由地としてセイロンを選んだようだ)
この洋行はその後の鈴木大拙を生み出すことになるきっかけだ。
様々な出会い、出来事はすべて繋がっているかのよう。

なお鉄舟と横並びで支援者鳥尾小弥太からの支援が言及されている。
「宗演師の雲水談(一)~(十)」「中外日報」1908年1月14日

 

<円覚寺~東慶寺>

山岡鉄舟は静岡の久能寺を臨済宗鉄舟寺として再興した。
この鉄舟寺には妙光寺の本堂が移設されいる。
きっかけは明治維新。
勤王の志士の拠点とされた妙光寺は新選組に焼き討ちされた。
その後廃寺寸前となり本堂は鉄舟寺に売却されたようだ。
2004年以降本山建仁寺の僧侶らの手により復興し
現在に至っているが、それ以前の様子は
京都市文化財保護課研究紀要 第2号 2019年3月
史跡妙光寺境内調査報告に詳しく書かれている。

Follow me!